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HABA note- 心地よい暮らし -

2021.9.22 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第9回 小さな侵入者

タイトル

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

 パキラ(観葉植物)は葉っぱの裏側から蜜を出す。蟻を呼ぶための仕組みで、蜜を舐めるついでに葉についた害虫も食べてもらおうということらしい。植物とは賢いものだなあと思う。
 拙宅の窓辺にもパキラの鉢があり、さかんに蜜を分泌している。透明でトロッとしており、指でちょいとぬぐって舐めると、シロップそのものといった感じにすごく甘い(少量なら人体に悪影響はないと我が身で実証ずみだが、砂糖がわりに紅茶やコーヒーに入れたり、ごくごく飲んだりしても大丈夫なものなのかはわからないので、ご注意ください)。
 しかし拙宅のパキラは、ずっと屋内で育てられている究極の箱入り娘なので、蜜を出しても出しても蟻はやってこない。フローリングの床に蜜が垂れて白く固まってしまい、私が拭き取るのに苦労するぐらいの効果(?)しか生みださなかった。
 そんなある日、パキラの鉢がある部屋をふと見たら、小さくて黒い蟻が二十匹ほど床を歩いているではないか。網戸の網の目からか、サッシの隙間からか侵入したようで、明らかに鉢の周囲をうろうろし、なんとかパキラに登れないかなーとうかがっている様子である。
 ついにうちの箱入り娘が、蟻とデートを……! だがまあ、蟻に居座られては困るので、手にしたスリッパでばしばし叩いて大量虐殺する(無慈悲)。
 不思議なのは蟻の嗅覚だ。拙宅があるのは二階で、蟻はベランダに面した窓から侵入したと思われるのだが、ふだんベランダで蟻を見かけたことはない。となると、地面にいた蟻の一団が、なぜかその日にかぎってパキラの蜜のにおいを嗅ぎつけ、わざわざ外壁をよじ登ったということなのだろうか。相当鼻がいい。
 地面の巣から遠征してきたのだとしたら、新たな懸念も生じる。侵入した蟻の一団を私が発見→虐殺するまえに、床に垂れた蜜を舐めて満腹し、さっさと巣に帰った蟻がいないともかぎらないではないか。その蟻は仲間にこう言っているだろう。
「いい蜜を生産する木を見つけたんだ。場所を教えてやるから、明日一緒に舐めにいこうぜ」
 つまりこのままでは、拙宅の窓を開けるたび、蟻の大群が押し寄せてしまう……! 蟻を呼ぶ元凶はパキラなわけだが、手塩にかけて育てた箱入り娘を斬り倒すなんてできないし、蟻を大量虐殺するなどという無慈悲な行いもなるべくならしたくない。かといって、窓を閉めっぱなしにするのもいやだ。部屋がカビる。
 どうすりゃいいんだ、と頭を抱えた私は、とりあえず科学の力を借りることにした。ドラッグストアに行き、虫除けの棚を眺める。ふむふむ、蟻用の殺虫剤や毒餌がいろいろあるぞ……。でも、殺生はできるだけ避けたい。毒餌を蟻が持ち帰って、巣ごと全滅なんて寝覚めが悪いではないか。
 いろいろ検討した結果、「蟻がきらって寄りつかない粉」を購入。窓の外に停止線を描く要領で、ベランダに白い粉を撒く。「こんもりするぐらいに撒け」と粉の入った巨大ボトルに書いてあったので、言われたとおりにしたら、「盛り塩ほどの厚みがある白い粉で線を引き、窓に結界を張ってる謎の部屋」みたいな見た目になった。ちょっと余った粉を使い、蟻に通じるかわからないが、線の横に「トマレ」と書き添える。ベランダを目撃したご近所のかたが、「あの部屋に住んでるひとって……」と怯えないことを祈る。
 翌日、おそるおそる窓を開け、事態の推移を見守る。蟻は現れない。パキラの蜜を舐めてみせ、「甘くておいしいなあ」とわざとらしく大きな声でアピールしながら、チラッチラッと窓の外を眺める。蟻の気配はかけらもない。
 やったー! やっぱり蟻は「トマレ」って文字が読めるんだ!(たぶんちがう)
 安心してしばし仕事部屋に籠もり、コーヒーでもいれるかと台所に行ったら、十匹ほどの蟻がシンク上を行進していた。ぎゃっ! ベランダの窓を結界でふさいだため、今度はやつら、台所の窓から侵入してきたのである。虐殺(無慈悲)。ドラッグストアに駆けこみ、もう一本ボトルを買ってきて、台所の窓にも結界を張る。「トマレ」って書いたぶんの粉、取っておけばよかったよ……。
 有能な陰陽師が式神を飛ばしまくっても、すべて跳ね返す。それぐらい厳重に、あらゆる窓辺に結界を張りまくったおかげで、蟻の侵攻はようやく止まった。ご近所さんも跳ね返されて拙宅に回覧板をまわしてくれなくなるのではと心配だし、ベランダで洗濯物を干すときに線を踏まないよう気をつけなきゃならなくて不便だが、まあよしとしよう。
 このコーナーは「日常のなかの美」を語るのが主旨だが、蟻との戦いに美は見いだせなかった。殺生は悲しみしか生まぬ……。美がない一カ月だってある! それが生活というものだ(開きなおった)。
 強いて言えば、「トマレ」の文字はわりと端正に書けた。あと、パキラの蜜は葉っぱの裏側をトローッと伝って先端に集まり、朝露みたいに透明な球になるのです。お日さまの光を受けてつやつやきらきら輝く蜜は、とてもきれいです。  

タイトル

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000 年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、 2015 年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。2019年には植物学専攻の大学院生を描いた『愛なき世界』で、作家としては初めてとなる日本植物学会賞特別賞を受賞した。『風が強く吹いている』『マナーはいらない 小説の書きかた講座』など著作多数。最新刊は小説『エレジーは流れない』。