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2024.10.18 カルチャー
第40回 建物の美
小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。
私は文楽(人形浄瑠璃)が好きなのだが、現在、東京公演は、都内各所の劇場を転々とする形で行われている。というのも、国立劇場が建て替えのため、二〇二三年十月をもって、閉場となってしまったためだ。
流浪の民と化した文楽。それでも、技芸員のみなさんも、国立劇場の職員のみなさんも、がんばって代わりの劇場を探し、素晴らしい公演を重ねておられるので、文楽ファンたちは応援している。私も、閉場の際に取材に行き、「まあ、新しい国立劇場ができるまで、しばしの辛抱だ。いい劇場になるといいな」と思っていた。建築資材の高騰もあってか、新劇場建設の入札に応じた企業が一社もないと聞き、なんだか暗雲が立ちこめているようだとは感じたが……。
それから半年以上が経ち、この原稿を書いている時点で(二〇二四年夏)、なんと、新劇場建設の目処は、まったく立っていないままである。いままでの劇場はすでに閉場しちゃったのに、どうするの!? 建て替えではなく、改修や耐震補強をして使いつづけるなど、方針転換したほうがいいんじゃなかろうか。このままでは、文楽はずっと流浪の民でいなきゃならないはめになるのではと、ファンとして勝手に気を揉んでいる。建て替え計画を変更するにしろ、進めるにしろ、なんとか早く、うまい方法を見いだしてほしい。
まあ、古い建物を維持するのは、いろいろ大変なことも多いのだろう。国立劇場ができたの、一九六六年で、そこまで古いとは思わないのだが……。実際、トイレとかはもちろんリフォームされていたので、「おい、ボロボロだな!」って感じたことは一度もなく、だからこそ、建て替えじゃなく改修に方針転換しても、わりと対応できるのではと思えてならないわけなのだが……。
いや、自身の加齢とともに、二十年ぐらいまえのことを「昨日のようだ」と思うようになったので、一九六六年竣工と聞いても、一昨日に建ったかのごとく誤認してしまうだけかもしれない。築五十八年か……。薬師寺の五重塔とかに比べれば、まだまだ若者だが、冷静に考えるとたしかに、コンクリートづくりの建物としては古い気もする。私は建築のド素人なので、トイレのリフォームと耐震改修とでは、また話が全然異なるのだと言われれば、「なるほど、そりゃそうか」と納得するほかない。
ただ国立劇場って、コンクリートづくりのくせに、外観は「校倉造り」に擬態させてあって、そこがなんかおもしろい建物だったんですよ(入札不調につき、まだ取り壊されていないので、現在も敷地外から外観を眺めることはできるはずです)。ずどーんと横に大きく、「こんなでっかい校倉造りがあるかーい!」と、いまいち擬態しきれていないあたりも、愛すべき隙というか。なので、現代的な高層ビルに建て替えるのは、ちょっと惜しいんじゃないかなあと、どうしても思ってしまうのだった。
建物の維持管理は、本当にむずかしい。昨年、両親の住む家をリフォームしたのだが、そのなかのひとつに、「風呂場の窓を引っこめる」があった。ちょっとだけ張りだしていた窓に、加齢により背丈が縮んだ母の手が届かなくなり、開け閉めができなくなったからだ。
外壁の一部を削り取って、窓を引っこめるなんて、大工事では? と思うも、熟練の職人さんたちがさくさくと作業を進めてくれた。窓が張りだしていたとは絶対に信じられない、自然でうつくしい仕上がりである。おかげさまで、母も自在に窓を開閉できるようになり、両親宅の風呂場は忍び寄るカビの恐怖から解放されたのだった。
両親がその家に住みはじめた当時は、まさか風呂場の窓が難所になるとは、予想だにしていなかったはずだ。住人は成長や老化によって伸び縮みするが、建物はそういう変化には対応してくれない。リフォームが必要なのか、必要だとして、どのタイミングでするべきなのかなど、判断がきわめてむずかしいものなんだなと痛感した。
古い建物というと、祖父母が住んでいた家を思い出す。台所は土間にあり、かまども残っていた。夏は風通しがよく、冬は黒光りする板戸を閉めて、こたつに当たる。茶の間と玄関を仕切る引き戸には、ほそーい竹の細工がはまっていて、とてもきれいだった。
玄関の土間のうえにある梁には、毎年、燕が巣を作った。つまり日中は、玄関のなかまで親燕が出入りしほうだい。日が暮れて、親燕が巣に落ち着いたのを見計らってから、玄関の戸を閉めるのである(泥棒も来ない山奥なので、鍵は閉めない)。燕の雛を狙って、大きな蛇が玄関内に侵入してくるため、いとこと私はぎゃーぎゃー言いながら追い払ったものだ。
古くて、昼でも暗い部屋もあるけど、長年にわたっていろんなひとが住んできた気配とぬくもりが感じられる、気持ちのいい家だったなと思う。建て替えたり、リフォームしたりすれば、もっと便利で快適かもしれないが、そうすると損なわれてしまう味わいがあるのも事実だ。
ま、その家、祖父が火炎放射器で庭の草を焼くついでに、誤って全焼させたので、もうないんですけどね。ひどい!建て替えとかリフォームとか以前の問題だよ!
三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。2000年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。『風が強く吹いている』『愛なき世界』『墨のゆらめき』など著作多数。本誌連載も収録したエッセイ集『好きになってしまいました。』(大和書房) 発売中。最新刊はエッセイ集『しんがりで寝ています』(集英社)。