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HABA note- 心地よい暮らし -

2022.4.21 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第15回 一朝一夕には完成せず

美はあちこちに宿る

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

 もう十年以上、同じ美容師さんにお世話になっている。
 彼は技術がたしかなのはもちろんのこと、ひとの心の機微を感じ取るのがものすごくうまい。こちらが放っておいてほしいときは黙っているし、ちょっと会話を楽しみたいなというモードを察すると、豊富な話題を朗らかに振ってくれる。前回どんな話をしたかもちゃんと覚えている。
 つまり彼は、美容師さんとしてというよりもはや人間として、およそ隙がない。けっこう長く担当してもらっているのに、こんなに暗黒面を垣間見せない人類など存在するものだろうか。私はほとんど疑心暗鬼になって、毎回彼の言動を注意深く観察するも、どうも本当に円満なお人柄なのだと結論づけざるを得なかった。まあ私より不穏な性格をしたひとって、そうそういないのですが。
 そんな彼が、わずかながら不穏さを感じさせたエピソードがある。
 ある日、美容師さんがいつものように店で施術していたところ、表が騒がしくなったそうだ。なんだろうと窓から覗いてみたら、どういういきさつなのかわからぬが、小さな商店街の通りを有名プロレスラーが歩いており、それを目撃した人々が、「もしかして、○○さんじゃない?」と遠巻きにざわめいていたのだ。
 美容師さんは中学生のころから、そのプロレスラーのことが大好きだったので、「まじか!」と何度も目をこすり、夢でも幻覚でもないと判明した瞬間、パーマ中のお客さんに、「すみません、ぼくの人生にとって非常に重大な事態が起きたので五分、いや三分、時間をください!」と断って、店から飛びだしたらしい。
「ふむふむ。それで、サインをもらえたりしたんですか?」
 と聞いてみたところ、
「いえ、突然のことでなにも準備がなく……。でも、『大ファンです!』って握手してもらったんですよ!」
 と、美容師さんはうっとりした目になって言った。「力強い手だったなあ。もう感激してしまって、その日はずっと足もとがふわふわしていました」
「そのときパーマ中だったお客さんは、なんて言ってました?」
「座った状態だと窓の外は見えませんから、ぼくが喜び勇んでプロレスラーに駆け寄ったことはご存じないです。澄ました顔で店に戻り、『おかげさまで、重大事は滞りなく完了しました』と申しあげ、詳しいことは聞かれなかったので、そのまま施術を再開しました」
「でも、足もとはおぼつかなかったんですよね」
「ええ、ふわっふわです。雲のうえでパーマかけてるような感じでした」
 大丈夫なのか。まあ、技術はたしかなので、雲のうえでもきっちりパーマをかけられると思うが、客をほっぽりだしてプロレスラーと握手というのは、不穏なまでのプロレス愛と言えよう。ふだんは人格的に極端な部分などいっさい見せないのに、プロレスとなるとひとが変わるんだなとわかり、「彼もひとの子だったか」とやや安堵したのだった。私も好きな芸能人が道を歩いてたら、仕事など放って尾行する(それじゃストーカーだ)。
 さて、美容師さんと私の共通する話題は、「町のお蕎麦屋さん」で、近所のおいしいお店の情報を交換している。
 昨今、こだわりのお蕎麦屋さんは多い。「本日は○○産の蕎麦を使用しています」と産地が明示されるのはもちろんのこと、つゆはカツオブシの香りが高く、器や内装もおしゃれな店だ。だが、美容師さんと私が愛好しているのは、昔っから近所のひとが通うような、もっと気軽な蕎麦屋である。
 どこ産の蕎麦なのか不明。蕎麦つゆや丼物も、「もしやボトルのめんつゆを水で割ってるのかな」と思うほど味が濃い。柱も椅子に置かれた座布団も年月を経て煮しめたような色になり、常連のおじいさんがたいがいもろきゅうをかじりながら、昼間っから一杯やっている。でも、おいしいしくつろげる。そういう「町のお蕎麦屋さん」が好きなのだ。
 美容師さんはめったに悪口など言わないひとなのだが、
「おしゃれな蕎麦屋でジャズが流れてるのは、なんでなんですかね」
 と、不穏さの片鱗を見せる。「蕎麦に合うのはジャズではなく、NHKの国会中継か大相撲中継だと思うんですよ!」
「ぶふふ。たしかに『町のお蕎麦屋さん』では、だれも見てないのに、なぜかテレビのチャンネルがNHKになってることが多いですよね」
 だが、我らの愛する「町のお蕎麦屋さん」は、ご店主の高齢化などで閉店し、どんどん数が少なくなっている。美容師さんと私は嘆きあいつつ、「でも、あそこのお店は二代目が継ぎました」などと、ますますさかんに情報交換する。
 おしゃれな店(蕎麦屋にかぎらず)は、最初から「おしゃれな店」としてアイデンティティを確立できる。でも、「町のお蕎麦屋さん」は、長い年月とそこにつどうお客さんたちによって、少しずつ雰囲気を築きあげていった結果としての「町のお蕎麦屋さん」なのだ。開店当初から座布団が煮しめられている蕎麦屋などない。そういう貴重な憩いの場が失われていくのは、やはりさびしいことだ。
 「町のお蕎麦屋さん」のトイレはたいてい、古いけれどきれいに掃除され、一輪挿しに花が飾ってある。それがたとえ造花だったとしても、「うつくしいな」と私は思う。近所のひとたちの腹と心を満たすべく、気取らず、気負わず、「日常」として実直に商いをつづけてきた気概のようなものをそこに感じるからだろう。  

美はあちこちに宿る

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000 年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、 2015 年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。2019年には植物学専攻の大学院生を描いた『愛なき世界』で、作家としては初めてとなる日本植物学会賞特別賞を受賞した。『風が強く吹いている』『マナーはいらない 小説の書きかた講座』など著作多数。最新刊は小説『エレジーは流れない』。