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HABA note- 心地よい暮らし -

2023.4.20 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第26回 混乱の待合室

美はあちこちに宿る

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

 父が加齢により目の手術を受けることになった。と言っても、日帰りで済む程度のものなのだが、ただでさえ足腰が弱ってきているうえに片目がふさがれてしまうので、念のため付き添って病院に行く。
 総合病院の眼科の待合室には、お年寄りがたくさんいた。たしかに目の不調は、高齢になればなるほど生じる傾向にあるような気がする。たとえば虫歯だったら、年齢を問わず発生するものだから、歯科の待合室ならば若いひとももうちょっといるはずだ。いや、歯が生えるまえの赤ちゃんと、入れ歯のひとは虫歯にはならないから、やはり歯科の待合室にもなんらかの年齢的偏りはあるのか……?
 などと思うあいだにも、眼科の受付の電話がじゃんじゃん鳴る。どうやら、薬の使いかたや診察日に関して不安になってしまったお年寄りが、問い合わせの電話をかけてくるようだ。看護師さんが受話器に向かって、
「その目薬は、一日三回さしてください。はい、そうですよ、三回です」とか、
「○○さんの予約は、二十四日の九時に入ってます。ううん、明日じゃない、明後日の二十四日です。持ち物? 保険証と、診察カードと……。いやもう、細かいこと気にしなくて大丈夫。目だけ持ってきていただければ。あはは、そうです、目だけは忘れずにね」
 といった調子で、優しく応対している。
 なかなか大変そうだ。しかし私も、ソファの隣に座っている父が、血圧測定に備えて上っ張りを脱ごうとして、たすき掛けにしていた鞄の紐に絡まってしまい、じたばたもがいているので救出せんと手助けしているところだ。
「なんで鞄をはずしてから脱がないのよ」
「鞄を掛けてることを忘れてた」
 高齢者、薬も診察日も鞄も、なにもかもを忘れがち。まあいい。長く生きていれば、だれだってなにかを忘れる。
 父ほどは長く生きていない私もひとのことは言えず、先日、とあるバンド名をどうしても思い出せずにいた。メンバーの顔や名前はわかるのに、バンド名だけが浮かばず、「あ、い、う……」と五十音を順番に声に出してみても、ピンと来る最初の一字がない。
しょうがないから、「バンド 鬼龍院(←ボーカルの名字)」でグーグル先生におうかがいを立て、
「そうだ、ゴールデンボンバー!」
 と、やっとすっきりしたのだった。最初の一字、「ご」だったか。そりゃあ五十音を全部唱えてもダメなわけだ。
 待合室で老親の付き添いをしているのは、もちろん私だけではない。五十代らしき男性は、急に目が見えにくくなったという父親と、そんな夫を心配してついてきた母親の面倒を見ていた。お母さん、おうちで留守番してくれていたほうがよかったのでは、という気もするが、息子である五十代男性は父親を励まし、母親に病状を説明して安心させと、八面六臂の活躍を見せている。
「先生がおっしゃるには、親父の目は薬を飲めばよくなるそうだけど、問題は来週の検査日だよ。同じ日に、おふくろもべつの病院に予約入れちゃってるだろ。その予約、変更してもいい?」
「あらま。あんたは一人なのに、お父さんとお母さんが同じ日にべつの病院に行くんじゃ、どっちにどう付き添えばいいんだかねえ」
「だから、おふくろの予約をべつの日で取りなおしていいか聞いてるんだってば」
「えー、お母さんもうよくわかんない。あんたに任せるわ」
 カオス! 私の母も最近しょっちゅう、「えー、なにがなにやらわかんない」と思考を放棄するので、どこの老母も似たような感じなのだなと笑ってしまった。
 五十代男性は辛抱強く、
「じゃあ、おふくろのほうの予約は、俺が入れなおしておくから」
 と言い聞かせ、父親が乗る車椅子を押して歩きだした。
「さあ帰ろう。ちょっとおふくろ、どこ行くんだよ。俺はこっち、こっち!」
「あらま」
 カオス! だが、病院の廊下を去っていく車椅子の父親、それを押す五十代男性、そのあとを追う母親の背中は、なんだか貴くうつくしいものに見えた。優しい息子さんだ……。
 同じく老老介護状態の私はしかし、優しくもうつくしくもなかった。隣に座っている父に、
「帰りは片目が見えなくて危ないから、タクシーに乗ろうね」
 と話しかけるも、
「は? なんて?」
 とあまりにも会話が成立しないので、
「もう目よりもさきに、耳を診てもらったほうがいいと思う。補聴器作りなよ、ほ・ちょ・う・き! こっちの喉がかれるっつうの!」
 と言い放ったところだったからだ。
 私も先般、耳の聞こえが悪くなった気がして聴力検査を受けたというのに、どの口が言ってるのだ。寛容さと辛抱強さを養いたいものだが、
「でへへー。おまえの声が小さいんじゃないか? ふだんは無駄に大声でしゃべるくせに」
 と、平気の平左でひとのせいにする父をまえにすると、イラッとしてしまって無理だ。
「でへへー」じゃないよ、まったくもう。今度は耳鼻科に付き添わないとならなそうである。  

美はあちこちに宿る

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。『風が強く吹いている』『愛なき世界』『マナーはいらない 小説の書きかた講座』など著作多数。本誌連載も収録したエッセイ集『好きになってしまいました。』(大和書房)発売中。