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2023.11.20 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第33回 なにを食べてる?

美はあちこちに宿る

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

 出張することになり、早朝の新幹線に乗りこむ。朝ご飯として車内で食べようと、乗車まえにコンビニで、鮭と辛子明太子のおにぎりを一個ずつ買った。
 新幹線の座席に腰を落ち着け、「さて」とコンビニのレジ袋を覗く。どっちのおにぎりから食べようかなあ。やっぱり鮭かな。おにぎりの具のなかで、私は鮭が一番好きなのだ。子どものころは「好物は最後に食べる派」だったのだが、最近では一等最初に食べるようになった。
 この変化はいったいなんなのだろう。加齢でさすがに胃袋が縮んできて、好物を最後まで残しておいたら、「おなかいっぱいで食べられないよう」ということもありえると学習したためだろうか。それとも、これまた加齢の影響か、どんどん我慢が利かない性格になり、欲望に忠実に、イの一番に好物に手をのばしてしまうのだろうか。
 などと考えながら、鮭おにぎりを一瞬でたいらげる。おいしかった。やっぱり鮭はいい。間髪を入れずレジ袋を探り、取りだした辛子明太子のおにぎりの包装をはがす。
 こちらもおいしい、と二口ほど食べたところで、「これ、ほんとに辛子明太子か?」と疑問が湧いた。かじりかけのおにぎりから現れた具をまじまじと眺める。赤っぽいペースト状の具で、辛子明太子だと強弁されれば、「そうなのかもな」と同意しなくもない、という感じだ。つまり一言で言えば、「かぎりなく辛子明太子ふうのなにか」だと見受けられた
 だれなんだ、きみは。驚いた私は、レジ袋に入れた包装を引っぱりだした。そこには、「ねぎとろ茎わさび入り」と書いてあった。
 その瞬間、最前おにぎりを買ったコンビニの棚が脳裏をよぎった。たしかに辛子明太子の隣に、ねぎとろ茎わさび入りのおにぎりが陳列してあった。私は、「へえ、近ごろは本当にいろんな具のおにぎりがあるなあ。でも今日はオーソドックスに……」と、辛子明太子のほうを手に取ったつもりだったのだ。しかしどうやら、視線のさきにあったねぎとろ茎わさび入りを誤ってつかんでしまっていたらしい。
いやあ、びっくりしたなあ。正体が判明したおにぎりを食べながら、私は感慨にふけった。
 びっくりのポイントは、少なくとも三つある。
 一、「ねぎとろ茎わさび入りではなく、辛子明太子にしよう」と明確に思って手をのばしたはずなのに、まんまと意思とは異なるほうをつかんでいた。
 二、辛子明太子だと頭から信じて疑っていなかったので、二口ほど食べるまで、辛子明太子ではないと気づけなかった。
 三、「いや、なんかちがうぞ」と気づいてからも、じゃあなんの具なのか、包装を見るまで、まるで見当がつかなかった。しかし、ねぎとろ茎わさび入りだと無事判明したいま、舌も脳も、まぐろとわさびの味と香りを鮮明に感知している。おいしい。もぐもぐ。
 これらから導きだされるのは、「思いこみとは、相当強固なものである」ということだ。
 脳が考えていることとは裏腹な行動を取っていたのに、辛子明太子を選んだとばかり思っているから、誤りに気づけなかった。しかも、架空の辛子明太子味を無意識に脳で捏造してまで、「このおにぎりの具は辛子明太子だ」と補正しようとした。だが真相がわかったとたん、「なるほど、ねぎとろ茎わさび入りの味だな」と思いはじめた。
 この調子でいくと、水を日本酒だと思いこめば、容易に酒の味が感じられ、酔っ払うことができそうだ。水が酒になるなら、ある意味、便利とも言えるからいいかもしれないが、人類の「思いこみ力」を逆手に取るというか悪用しようとするひとがいたら、どうだろう。
 たまに、「すごく高級な食材を使った料理ですよ」と謳っているのに、実際は安価な食材だった、と発覚するケースがあるが、あれも「高級な食材を使ってるなら、おいしいんだろうな」という思いこみを悪用していると言える。「そんなの、舌が肥えてれば味わいわけられるだろ」と思うひともいるかもしれないが、ねぎとろ茎わさび入りと辛子明太子の味の区別がつかなかったものがここにいる! それぐらい、思いこみ力とは強く危険なものなので、悪用してひとをだますような行いは厳につつしんでもらいたいものだ(私のおにぎりに関しては、だれのせいでもなく、自分の脳が勝手に自分をだましたわけだが)。
 一個目の鮭おにぎりも、実はシーチキンとかだったのでは? 不安になり、念のため包装を確認してみたが、鮭は鮭だったのでよかった。満腹になった私は、車窓から外を眺める。ベランダで翻る洗濯物や、畑仕事をするひと。平和でのどかな風景が過ぎていく。
「この日常がつづくはずだ」という思いこみで、私たちの暮らしは成り立っているとも言える。もしかしたら愛も、思いこみなのかもしれない。だとすると思いこみには、「信頼」といううつくしい側面もある。この世界と自他への信頼が、思いこみとして表れるのだ。
辛子明太子がねぎとろ茎わさび入りで、狐につままれたような気持ちがしたが、車内で一人いろいろ思いめぐらし、「これはこれで、なかなかおもしろいびっくり体験だったなあ」と感じ入ったのだった(あくまでも前向き)。  

美はあちこちに宿る

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000 年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、 2015 年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。『風が強く吹いている』『愛なき世界』『のっけから失礼します』など著作多数。本誌連載も収録したエッセイ集『好きになってしまいました。』(大和書房)発売中。最新刊は小説『墨のゆらめき』(新潮社)。