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2024.02.20 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第35回 ごーりごーり

美はあちこちに宿る

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

拙宅のベランダを修繕することになった。
下見に来た工事を担当するひとによると、ベランダの床面には、雨漏り防止用の塗料が塗ってあるらしい。その塗料がそろそろ剝げてくる頃合いなので、必要に応じて修繕したほうがよかろうと判断が下されたのだ。
しかし私は、これまで床面を目にしたことがなかった。というのも、ベランダに簀の子が敷かれており、ネジでがっちり留めてあって、自力では取りはずせない仕様だったからだ。
ベランダというか細長いテラスのようなものなので、真下にも部屋があるつくりだ。下階に雨漏りしては一大事だから、修繕してもらうのはやぶさかではない。だが問題は、ベランダに並んだ植物の鉢だ。これを移動させるの?
呆然とする思いだったが、工事の日程は迫ってくる。私は一念発起し、小さめの鉢植えをせっせと玄関の外に運びだした。玄関先に鉢植えがひしめくことになり、なかには寒さで枯れかけていた植物もあるため、なんかこう、「来客を拒む呪術を発動させてる家」みたいな雰囲気だ。これを見た作業員さんが、まわれ右して帰ってしまわないといいのだが……。
つぎに、ベランダにある園芸用の道具箱に着手。入れてあった植え替え用の土の袋やら、からの鉢やら、シャベルやらをゴミ袋に詰め、居間の隅っこに置く。道具箱自体も、特大ゴミ袋をかぶせて居間に運び入れる。なぜ、いちいちゴミ袋で密封するかというと、ベランダに頻繁に出現していたカメムシが部屋に紛れこんだらいやだなと思ったからだ。室内では観葉植物がすくすく育っている。かわいい箱入り娘たちがカメムシに取りつかれたら大変だ。
さて、ベランダに残るは、フェイジョア(南米原産の常緑樹)の大鉢のみとなった。しかし、フェイジョアの鉢植えは私の背丈ぐらいあり、渾身の力で踏ん張ってみるも、どうにも持ちあがらない。両肩同時に見舞われた五十肩の痛みは、おかげさまでかなり軽減していたのだが、鉢やらなんやらの運搬に加え、フェイジョアに対する踏ん張りがとどめの一撃となって、左肩がまたしても引っこ抜けそうだ。せめて、買っておいた特大虫除けネットをフェイジョアにかぶせようと試みたが、左腕がまるで上がらず、「網を投げるのがむちゃくちゃ下手な漁師さん」みたいに、狙いがうまく定まらない。
こりゃダメだ。作業員さんに鉢の移動をお願いするほかない。
観葉植物やら道具箱やらの隙間にちんまり座って待っていたら、玄関先の呪術にもひるむことなく、二名の作業員のかたがやってきた。ベランダに残った大鉢を見て、「ぼくらで移動させるから大丈夫ですよ」と軽々と持ちあげ、虫除けネットもちゃんとかぶせて、居間に運び入れてくれる。なんと頼もしく力持ちなのであろうか。室内はいよいよ座るスペースもなくなり、私は虫除けネットに絡まりながら、観葉植物やら道具箱やらの隙間に立っていた。作業員さんたちはベランダで、さっそく簀の子のネジをはずしはじめている。
私にできることはなにもなさそうだ。なんとか居間から脱出し、仕事部屋でパソコンに向かう。ベランダからは、ごーりごーりと謎の音が聞こえてくる。石臼で薬草をすりつぶしている……? ベランダの修繕に、そんな工程があるのか?
そうこうするうちに昼近くになったので、冷やしておいたペットボトルのお茶をクーラーボックスに入れ、「ご自由にどうぞ」と捧げにいった。おやつの時間に食べてもらえるように、お菓子セットも添えて、ベランダに面した掃き出し窓の近くに置く。
「ありがとうございます」とさわやかに言った作業員さんたちが、ベランダでなにをしていたかというと……。一人は、はずした簀の子に生えたキノコだか粘菌だかわからぬ物体を、ごーりごーりとヘラで削ぎ落とし、もう一人は、床面に溜まった黒々とした泥を、ごーりごーりとヘラで搔き集めてゴミ袋に入れていた。
ひいぃっ。せっかくの力持ちかつ修繕技術の持ち主なのに、そんな地道な作業をさせてしまってすみません! 簀の子は気が向いたらデッキブラシで掃除してたし、落ち葉はそのつど拾ってたつもりなのに、まさか簀の子に未知の生命体が生え、床面では栄養たっぷりそうな腐葉土が生成されてたなんて……。
赤面して謝るも、作業員さんたちは、「いえいえ、ベランダって、だいたいこうなるものですよ」とさわやかだった。たぶん、だいたいのおうちは「こう」じゃないと思うが、お気づかいありがたし。
昼休憩を挟み、作業員さんたちは高圧洗浄機で床面をぴっかぴかにし、きれいになった簀の子を手早くもとどおりに留めて、フェイジョアの大鉢やら道具箱やらもベランダに運びだしてくれた。
う、うつくしい! これが拙宅のベランダだなんて、生まれ変わったようじゃないの。ちなみに床面の塗料は剝げてなかったので、修繕はしなくて大丈夫だった。
帰っていく作業員さんたちにお礼を言い、私はうっきうきで、玄関先の鉢植えをベランダに戻した。作業員さんたちを一日じゅう、ごーりごーりに終始させてしまったことを深く反省し、今後は落ち葉が簀の子に接地するまえに、素早くキャッチするぞと誓う。それだけの動体視力と反射神経が私に備わっているのか、はなはだ疑わしいが。

美はあちこちに宿る

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000 年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、 2015 年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。『風が強く吹いている』『愛なき世界』『のっけから失礼します』など著作多数。本誌連載も収録したエッセイ集『好きになってしまいました。』(大和書房)発売中。最新刊は小説『墨のゆらめき』(新潮社)。