2025.01.20 カルチャー
第1回 手
小林聡美さんのエッセイを毎月1回お届けしています。

小林聡美
1965年東京生まれ。1982年に「転校生」でスクリーンデビュー。主な出演作にドラマ「団地のふたり」「ペンションメッツァ」「すいか」、映画「かもめ食堂」「紙の月」「ツユクサ」、舞台「24番地の桜の園」「阿修羅のごとく」。主な著書に『茶柱の立つところ』『わたしの、本のある日々』『聡乃学習』。
東京下町の昭和四十年代の幼稚園。制服は紺のブレザーにプリーツスカート、ベレー帽までセットになっていた。私は昔からショートカットで、よく男の子と間違われていたが、幼稚園の制服を着ている時はさすがに男子に間違えられることはなかった。
幼稚園時代は半世紀以上も前のことで、当時の記憶はほとんどないのだが、唯一、幼心にひっかかって忘れられない出来事がある。
「さとみちゃんの手、おばあちゃんの手みたい」
何人かのお友だちとなぜかお互いの手を見せっこしていたときに、ひとりのコがそう言った。私の手は、お母さんと比べてもどうみても小さいのに、それを何でおばあちゃんの手のようだとのたまうか。彼女が言うには、私の手のひらがシワシワだというのだ。確かに他のお友だちの手のひらは私より、のっぺりしている。要するに子供ながらに手相が込み入っている、ということらしい。それまでのほんの五、六年の人生、自分の手のことなど考えたこともなかったが、「私の手はおばあちゃんの手みたいなんだ」と静かにショックを受けたのだった。それは、おそらく生まれてはじめてのコンプレックスが生まれた瞬間だった。
「さとみちゃんの手はおばあちゃんの手みたい」という呪いは、今も私の脳裏から離れない。だがもう実際おばあちゃん世代に突入しているので、堂々としていいのだ、と最近は開き直っている。ネイルサロンに行って綺麗にしてもらっていたこともかつてあったけれど、もともとの爪が薄いらしく、そのうち爪がヒリヒリしてきて、ネイルサロン向きの爪ではない、と自覚。それからは、保湿重視で自分なりのケアをしてきた。数年前からピアノを始めたので爪も短く切り揃え、よりストイックな「おばあちゃんの手」になってきた。
昔は男性スタッフが多かった撮影現場に、女性スタッフが随分増えた。彼女たちは何十キロもの重い機材を担ぎ、男性と同じように逞しく作業している。そんな彼女たちの爪に、鮮やかなネイルカラーがほどこされていることがある。ごつくて荒っぽい現場に彼女たちのネイルが際立つ。作業する手元が華やかなのは、気分があがるに違いない。素敵だな、と思った。自分のためのネイルが、周りのひとも幸せにしている。
「おばあちゃんの手」だから、と開き直っていないで、私も久しぶりに透明のマニキュアをしてみようかなと、シジミのようなこぢんまりした爪をしみじみ眺めるのだった。
という訳で、今回からこんな感じのエッセイを皆様にお届けしたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します!
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