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2024.04.18 カルチャー 

美はあちこちに宿る

第36回 身悶えするかわいさ

美はあちこちに宿る

小説家 三浦しをんさんのエッセイを毎月1回お届けします。

 

前回から二カ月のあいだに、私の生活にどんな「美」があっただろう。この原稿を書くために、パソコンのまえで一時間ぐらい記憶を掘り起こしたのだが……。ないっ。美にまつわるような出来事、皆無だった。
先日、深夜にふと思い立って、洗濯機の蓋の隙間などに積もった埃をきれいに掃除し、「やったー、ぴかぴかになった」と満足したのだが、その直後からなぜか蓋ロック機能が不調をきたし、蓋はちゃんと閉まってるのに洗濯がはじまらなかったり、洗濯が終わったのに蓋が開かなくて中身を取りだせなかったり、という事態が頻発するようになった。やはり掃除などという、身の丈に合わぬ「美」を求める行いをしてしまったため、「どうしたんだよ、めずらしいじゃないか」と洗濯機も驚いたのだろう。ってエピソードしかなかった。
私は子どものころから、「かわいい」よりも「きれい」のほうが、好きな言葉だなと感じてきた。もちろん、かわいいぬいぐるみは好きだ。でも、「きれい」のほうが、もっと気高く尊いもののように思えたのだろう。当時は、「気高い」「尊い」という言葉も知らなかったのだが。そして当時、私が好きだなと感じた「きれい」は、つまりは「うつくしい」という意味だったのだといまは思う。
「かわいい」よりも「きれい/うつくしい」のほうが、魂やたたずまいも含めた奥深い部分への形容な気がする。たとえば、「孤高」と聞いて連想しやすいのは、「かわいさ」よりは「うつくしさ」だろう。目指すのならば、孤高のかわいさではなく、孤高のうつくしさだ。まだ語彙が乏しく、うまく言語化できなかったにもかかわらず、幼心にそのようなことを考えた自分、えらいぞ。
しかし現実は厳しい。私は「かわいい」はもとより、「きれい/うつくしい」も実践、体現できぬまま馬齢を加えている。たまに気合いを入れて化粧をし、きれいな服を着ると、「あら、きれいですね(←服が)」と言ってもらえることがあるぐらいだ。ありがとう、ありがとう。魂の美へ至る道は遠い。しかも、うちの洗濯機の蓋は壊れている。きれいな服どころか普段着の洗濯も困難だ。まあいい、コインランドリーに行こう。洗濯機の買い替えが面倒だなと思い、問題解決を先延ばしにする精神。ますます遠ざかる魂の美。
では、せめて「かわいい」案件はなにかなかったか。パソコンのまえでさらに一時間考えたところ、思い出した。二週間ほどまえ、超絶かわいい出来事に遭遇したのだ。たった二週間まえのことを一時間考えないと思い出せないとは、大丈夫なのかな自分。
その日、父と私は近所を散歩していた。私は常に運動不足だし、父は加齢により足腰が弱ってきている。「これはまずいんじゃないか」ということになり、連れ立って歩くことにしたのだ。
住宅街の道をのんびりペースで進んでいたら、前方から犬を散歩させている若い夫婦がやってきた。真っ白な和犬で、まだ子犬だ。散歩がうれしくてならないらしく、てってっと弾むような足取りで、引き綱を持つ奥さんのまえを歩いている。それだけでもかわいいのだが、子犬は父と私に気づくとすれちがいざま、「あっ、どうもどうも! 人間のかたですよね? ぼく、犬です! よろしく!」と言わんばかりに右の前脚を上げて、こちらに差しだしてきた。本人(本犬)は「お手」のつもりなのだろうが、田中角栄の挨拶みたいになっている。だが、歩きながら右前脚を上げるもんだから、当然バランスを崩し、「おっとっと」とよたついて、それでもめげずにまた、「どうもどうも!」と歩きながら右前脚を上げて近づいてくる。「へっ、へっ」と満面の笑み(としか言いようのない表情)だ。
「か、かわいい! ひぃーっ、かわいい!」と、思わず声に出さずにはいられなかった。奥さんは子犬が飛びかからないように引き綱を軽く引っぱり、旦那さんのほうは恥ずかしそうに「いやもう、すみません」と言っていたが、その夫婦も子犬を「かわいいなあ」と思い、とても大切にしているのがうかがわれた。子犬はなんの警戒心もなく、見知らぬ我々にまで「どうもどうも!」と挨拶してくれるのだ。それはきっと、夫婦が子犬に優しく接しているから、「人間ていうのは、信頼に値する生き物なんだな」と子犬が信じるに至ったということなんだろうと思った。
夫婦と子犬が通りすぎたあと、かたわらを歩く父に、「かわいかったねえ」と言うと、「かわいかったなあ」と父も感に堪えぬ様子だった。木石のごとき心を有すると定評のある男だが、子犬の威力にはさすがに降参したらしい。
「たぶん、『お手』を覚えたてで、誰彼かまわずやってみたくてたまらないんだろうな」「そっか。『お手』をしたら、あの夫婦が『かわいいねえ』『いい子だねえ』って喜んでくれるから、子犬はそれがうれしくて、私たちのことも『ぼくのかわいさで、いっちょ喜ばせてあげなきゃな』って思ったんだね」 「うん。人間の子どもも、犬の子どもも、天真爛漫でかわいいもんだ」
「かわいい」も、やはり尊いものだと心底感じた。かわいさは私たちのなかに、愛し大切にしたいという、うつくしい気持ちを問答無用で生じさせてくれる。

美はあちこちに宿る

三浦しをん
小説家。1976年、東京都出身。 2000 年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、 2015 年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞及び河合隼雄物語賞を受賞。『風が強く吹いている』『愛なき世界』『のっけから失礼します』など著作多数。本誌連載も収録したエッセイ集『好きになってしまいました。』(大和書房)発売中。最新刊は小説『墨のゆらめき』(新潮社)。